ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories, 1860-1964)はアメリカに生まれ、明治38年[1905]に来日し、滋賀県の近江八幡で英語教師を務めたのち、キリスト教伝道活動に専心し、伝道 とともに教育、医療、建築活動を展開しました。建築の専門教育を受けたわけではありませんが、中世の時代の教会は、司祭が建設を指導したように、ヴォーリ ズにとって建築は「キリスト教精神の表現」であり、形のデザイン的な見栄えよりも、使う人の身になって考え、学校、住宅、ビルなど1000棟以上を設計し ました。来日した年の1905年にすでに軽井沢を訪れたヴォーリズ は、軽井沢の自然とともに多くの宣教師との出会いを楽しみました。軽井沢幼稚園の創立者ダニエル・ノーマンとの出会いもその一つです。そしてそれが設計の 仕事にもつながっていきました。日本基督教団軽井沢教会(軽井沢幼稚園会堂)(昭和4年1929年)のそばにはユニオン・チャーチ(大正7年1918 年)、軽井沢テニスコート・クラブハウス(昭和5年1930年)、軽井沢集会堂(大正15年1926年)が立ち並んでいます。すでに現存していない建物、 文化財に指定されている建物も多い中にあって、軽井沢のこれらヴォーリズ建築は文化財の指定こそ受けていませんが、いずれも現役でがんばっているのです。

私たちの軽井沢幼稚園が入園式、卒園式をはじめ、お楽しみ会など様々な行事に使わせていただいている会堂も上述のように人間でいえば80歳を超える建物 です。旧軽銀座からは長いアプローチがあって教会入口は奥にあります。端正な切妻屋根、白のしっくい壁、縦に並ぶ付柱という簡素な表現です。ここに幼稚園 があると人は気付かないかもしれません。幼稚園としての入口は反対側にあるからです。会堂も「洋小屋トラス」が組まれているはずですが、天井板が貼られて いるので、方杖が見えるだけで単純に見えます。祭壇も縁甲板の斜め張りに十字架だけでいたって質素です。今は木材同士を金物で固定していきますが、細部を 見ると木がしっかり組まれていることがわかります。床がうねっていたり、寒かったりと不便はあるかもしれません。しかし歴史に鍛えられ、長い時間を生き抜 ぬいてきたのは、設計者の自己満足から形のための形をつくって、形を無理強いするのではなく、使われる材料と使う人に寄り添っていたからなのでしょう。名 声を得るためではなく、ただ喜びをもって神と「ともに」いる場所をつくったからなのでしょう。もちろん、関係者の方々が代々この場所を守ってきたことにも 意識を向けなければなりません。

子どもたちにとって、建物の由来は知る由もありません。しかしこの園舎は多くの子どもたちを見守ってきたのであり、今日も子どもたちを見ていてくださるのです。様々な園の行事をとおして、親子ともどもこの空間を味わうことができることをうれしく思います。


石川恒夫(建築家・前橋工科大学大学院准教授/工学博士)
参照:ヴォーリズ建築の100年、創元社(2008)
ヴォーリズ評伝、奥村直彦著、新宿書房(2005)